NOTEノート

2026.10.16

あなたは「自然」に何を求めるのか?-自然のそばで働く3人による「足るを知る」をめぐる鼎談-

「自然のそばで暮らす」と聞くと、どんな暮らしを思い浮かべるだろう。

山の近くに住み、畑を耕し、休日には森へ出かける。
そんな、都市とは少し違う、ゆったりとした暮らしを想像するかもしれない。

けれど、実際に自然の近くで暮らし、働いている人たちに話を聞いてみると、それほど単純な話でもないらしい。

今回話をしたのは、林業や農業などを経験し、現在は薪に関わる仕事をする向原悠歩さん、長野県白馬村で育ち、東京を経て伊那谷に移り住んだ黒岩麻衣さん、そして森林ディレクターとして森と暮らしの関係性をつくる奥田悠史さんの3人。

3人とも、これまでの人生のどこかで自然に惹かれ、自然に関わる仕事や暮らしを選んできた。

「自然とともに働き、自然とともに暮らす」こと。そこには、どのような景色が広がっているのか。
漠然と「いいね」と思いそうなところを、少し立ち止まり、改めて見つめてみたいと思う。

この鼎談に登場する人

向原 悠歩|株式会社ディーエルディー・薪担当

神奈川県小田原市の新興住宅街で育つ。自然あふれる環境ではなかったものの、子どもの頃から自転車で海釣りへ。大学では森林関係を学び、卒業論文で白馬村・八方尾根をフィールドに高山植物の研究をしたことで山に目覚める。
卒業後は森林組合で8年間林業に携わり、仕事でも休日でも山へ行く日々を送る。その後、造園や農業などの仕事を経て、長野県伊那市へ。空き家バンクで見つけた家を気に入って購入したことをきっかけに、「火のある暮らし」を提案するディーエルディーで働きはじめる。現在は薪に関わる仕事をしながら、山あいにある家で畑や田んぼにも取り組んでいる。

黒岩 麻衣|inadani sees・森の素材ラボ

出身は長野県白馬村。両親が営むペンションで育ち、森や川が身近にあることが当たり前の環境で過ごす。
高校卒業後に東京へ移り、10年以上を都市部で暮らした後、森の学び舎「フォレストカレッジ」への参加をきっかけに伊那との縁が生まれる。森に関わる活動「森の素材ラボ」をはじめ、2023年にinadani seesの立ち上げに伴って伊那へ移住。
中学・高校の集団登山の影響で、気づけば山登りから遠ざかるように。「自然が好き」という気持ちと、実際にそこへ足を運ぶことの間にある距離について考えている。

奥田 悠史|株式会社やまとわ・森林ディレクター

山の麓で育ち、子どもの頃から薪を割って風呂を沸かし、川遊びや釣りに親しんできた。現在は森林ディレクターとして、森と暮らしの関係性をつくる仕事をしている。
仕事で自然に関わることが当たり前になった一方で、仕事の忙しさから「山でぼーっとする」「仕事以外で焚き火をする」といった、ただ自然の中で遊ぶ時間が減っているのがちょっとした悩み。大学時代からはじまった伊那谷生活も、気づけば十数年目。

「スローライフ」は、案外忙しい

奥田
「田舎暮らし」や「移住」って、10年前くらいは「農的な暮らし」のような、もう少しわかりやすいイメージがありましたよね。

でも今は、いろんな情報や体験談が社会に出てきて、むしろよくわからなくなっているんじゃないかなって。

以前まではある種の幻想みたいなものがあったけど、今は「あれも大変、これも大変」と、いろんな側面が見えるようになってきた。だからこそ、「じゃあ自分は田舎に何を求めるんだろう?」と考えないといけなくなっているのかもしれません。

向原
確かに、細分化しすぎて広がった感じはしますよね。

奥田
そうなんです。だから今日は、移住とかキャリアの話というより、もっと純粋に、地域で暮らすこととか、自然のそばで暮らすことって、実際どんなものなんだろう、という話ができたらいいなと思っています。

向原さんは、そもそもどういう経緯で伊那に来たんですか?

向原
ずっと賃貸の家に住んでいたんですけど、「家がほしいな」と思ったのがきっかけですね。
特定の地域とのつながりとか、「このまちが」みたいなのもなくて、最初はそれこそ山が好きなので、松本とか安曇野とか、アルプスが見える景色のいいところで探していました。

伊那に来る前は東信(*1)に住んでいて、南信はあまり来たことがなかったので、むしろ候補にもあがっていなかったんです。でも、たまたま見つけた家を見に来て「ここだ」となって、仕事も何も考えずに、勢いで買っちゃって(笑)。その家に薪ストーブをつけたくてディーエルディーに行ってみたら、「仕事あるよ」と言ってもらって、拾ってもらった感じでしたね。

(*1)長野県の東部を指す地理的名称。長野県を4つに分け、北信・東信・中信・南信と呼ばれている。

黒岩
仕事より先に家が決まったんですね。

向原
そうですね。それが2024年の4月なので、いまは3年目です。

林業の仕事をしていたときは、自然の中に行く仕事だったんですけど、いまは薪関係の仕事で、山から来たものを加工して販売する仕事になりました。仕事で山に行くことはなくなってしまいましたが、家が伊那の中でも山あいの集落なので、生活自体が山の中にあるんです。

畑をはじめたり、田んぼでお米をつくったり、そういうのを始めると、なんていうんですかね。すごい忙しいというか、逆に山に行く時間がなくなってしまって。田舎暮らしって、のんびりしたイメージがあったけど、実際は違うんだなと思いました。

奥田
スローライフという言葉もありますけど、田んぼや畑をやり始めると、草刈りをしたり、水を見に行ったり、季節ごとにやることが出てきて、意外と忙しいですよね。

「あがっていきなよ」と言える余裕はどこから生まれるのか

奥田
向原さんがいまの家に暮らす中で、印象的だった出来事とかありました?

向原
いろいろありますけど、家を買ってすぐ、お散歩していたら「どこの人だい」って話しかけられて。「まあまあ上がりなよ」って言われたことに驚きました。

黒岩
いきなり家ですか?

向原
最初は衝撃的でした。立ち話くらいなら珍しくないかもしれませんが、「家に上がっていいんですか?」って思って。お邪魔したら、漬物は山ほど出てくるし、「ちょうどつくったから」ってコロッケとかも出してくれて。

奥田
夕飯のおかずじゃなかったのかっていう(笑)。

僕も20代の頃にライターをしていたときは、農家のじいちゃんを取材しに行って、長話をしたり、お漬物やゆで卵を出してもらったり、お土産までもらうこともあったなあ。

向原
僕が暮らしている集落には、いろんな農的な暮らしをしている人たちがいて、うちが畑をはじめたとなると、みんなが見に来て助言をくれるんです。

でも、土づくりでもいろいろな考え方があるようで、ときには正反対のことを言われることもあったりして。「何を信じたらいいんだろう」って困ってしまったときもありますけど、心に残るのは、やっぱり人とのコミュニケーションが多いですね。

奥田
そういうところに田舎暮らしの豊かさがあるのかなと思いつつ、現代人は近所付き合いとかを心地よく思えなくなっている部分もありそうです。

もしかしたらそれって、「お返ししなきゃ」という価値観が強くなっているのかも。即時決済じゃないですけど、「いつかお返ししよう」ではなく、翌日にはお礼の品を持っていくというような。僕自身も含めて、そういう現金に紐づいた感覚が、自分たちの首を絞めていたりするんでしょうか。

黒岩
たしかに、損得感情ってお金が介在したときに、より働く感じがしますよね。

奥田
これは僕の仮説なんですけど、田畑を耕して生きてきた人たちって、土や土地そのものから「何かをギブされている」からなのかなって。だから、自分も自然と人に返していくというような、そんな感覚があるのかもしれない。

たとえば、自分が時給で働いたお金で買ったものを人に渡すのは、ちょっと「損」だと感じることもある。でも、自分が時間をかけて育てたトマトをおすそ分けするのは、金銭を介していないから、そんなに嫌じゃない気がします。

どういう経緯のコロッケだったのかは、ちょっとわからないですけど(笑)。それも何かの余裕がある感じがしますよね。

土地に関わることで、「自分の時間」がひらかれる

奥田
向原さんの話を聞いていて、「時間の質」みたいなことも気になってきました。

僕らはよく「時間がない」と言いますけど、昔の人より労働量が多いとは、とても思えないんですよね。昔は薪を割って風呂を沸かしたり、かまどで米を炊いたり、季節になったら味噌や醤油、梅干しを仕込んだり。いまよりも暮らしの中でやることは、たぶんもっと多かったはずです。

でも、子どもは子ども同士で遊んでいるし、勉強もするし、本を読む時間もある。うちの父親も、すごく本を読んでいました。その一方で、ふと見るとテレビを見ながらゴロゴロしていたりもする。

同じ24時間なのに、どうして昔の人は、いろんなことが同時に進んでいたんだろうって気になっていて。

向原
たしかに、僕も時間が足りない気はします。

長野県は冬が寒いから、野菜も育たないし、九州とかに比べるとできることが減るじゃないですか。だからこそ、6月頃から9〜10月くらいまでが、すごく濃密な時間なんだろうと思っていて。

ただ、時間については、もっと早起きできれば違うんだろうなとも思いつつ(笑)。頭の中では「5時に起きてあれをやりたい」と思ってるんですけど、気づいたら7時で、「もう会社行かなきゃ」みたいな。そのあたりのせめぎ合いはありますね。

黒岩
向原さんの場合、田んぼを始めたことで地域の仕事も増えました?

向原
そうですね。「役」っていうんですかね、地区の仕事が1.2倍くらい増えました。田んぼを持っている人は、水路の管理とかもしないといけないので。

黒岩
そういう話を聞くと、まだ反射的に「ちょっと抵抗が……」とか思ってしまう気持ちもあります。

ただ、伊那に暮らして3年以上経って、最初は田んぼとかを眺めながら「きれいだな」と思っていただけなんですけど、少しずつ、「田畑の一枚も耕せなくてどうするんだろう」という気持ちも湧いてきました。

向原
自分で植えたものが育っていく姿は、やっぱり可愛いですよ。

でも僕の場合、家を買ったら畑がついていたので、もし畑がなかったら、わざわざ借りてまでやっていなかったかもしれません。

奥田
田んぼって、上の方から順番に水を入れていくから、それこそコミュニティですよね。地区の何かに属することが大事で、「やりたい」だけではできないのも面白さだなと思います。

向原
そうですね。とくに僕が住んでいる地区は、水路の草刈りとか、いざらい(用水路や側溝の掃除)とかって、やらないと水が来ないので、山の方では生活するうえで必要なことなんですよね。だからこそ地元の人たちは、朝の作業で「眠いな」とか言いながらも、それを当たり前のようにやっているというか。

僕も田んぼを始めて、水路の役が回ってきて、大変なんですけど、すごく大事な仕事なんだなと実感しました。面倒なんだけど、地域のためになっている感じがするし、地区では若手なので、一生懸命やっていると褒められますしね(笑)。

奥田
もしかしたら、僕たちは自分の30分とか1時間という時間を、ちょっと高く評価しすぎているのかもしれないですね。

基本的に僕らは、「自分の時間は自分のもの」という感覚でスケジュールを組んでいるじゃないですか。「今日までにこれをやらなきゃ」とか、「この時間は自分のために確保しよう」とか。

もちろん農家さんは、季節や天候を気にしないといけないので、もっとシビアに時間を使っていると思います。でも、地域の中で暮らしていると、自分の時間が少し、「自分だけのもの」じゃなくなるのかもしれない。

自分の時間を全部自分で守ろうとすると、たしかに効率はいいんだけど、誰かと時間を共有したり、何かを一緒につくったりする余白はなくなる。

黒岩
たしかに。時間を使って何かをしてあげることを、そこまで惜しんでいない感じはありますね。さっきの「コロッケ食べていきなよ」というのも、余白があるからなのかも。

私自身は、「いまから家行っていい?」と言われたら、ちょっと嫌なんですよ。片付けて掃除しないと、みたいな。そこの違いって何なのかなって。

もしかしたら、農的に生きてる人たちの方が、家と外とか、自他の境界線がゆるやかなんでしょうか。

向原
一軒家に住んでいる人が多かったり、親戚が集まる機会も多いから、人を招き入れることに慣れているのかもしれませんね。

突然、縁側から訪ねて来たりして、僕は慣れていないから驚くんですけど。

奥田
そう考えると、時間だけじゃなくて、家も含めて、自分のものとして守る境界線が少し違うのかも。そもそも家や田畑も、ご先祖さまから引き継いだ人もいるでしょうし。

「自分の時間は自分のもの」として全部確保しておくのではなくて、誰かと共有する時間があったり、誰かを家に招き入れたりする余白がある。

コントロールしきれない「自然」と生きていくには、そういうふうに、すべてを自分の思い通りにしようとしないほうが、馴染みやすいのかもしれませんね。

「会社」と重ねてみたら、「地域」の見え方が変わった

黒岩
最近私は湧き水を汲みに行くことがあるんですけど、湧き水を汲むときに、ちょっとそわそわするんです。「これって無料でいいのかな?」って。もしそこにお賽銭箱があったら、お金を入れたくなるような。

それはさっきの“即時決済”が身体に染みついているとも言えるかもしれませんけど、もっと純粋な、恩返しのような気持ちに近いのかなって。

奥田
湧き水もそうだし、地域を整備するような取り組みは、「その土地で生きていく」という感覚になると、誰かから強制された労働ではなく、ただ必要なものになるのかもしれませんね。「ここで生きていく」という感覚があるかどうかが、けっこう大きいのかもしれない。

農家さんって、土にずっと手をかけ続けていて、それがある種の資産になっている。だからこそ、そこで生きていく覚悟が自然とできやすいのかもしれませんね。

黒岩
むしろ、それがない状態で地域の暮らしに入っていくと、地域の役割との向き合い方がわからないのかも。いまは、自分で畑や田んぼを耕さなくても、生きていける選択肢はいろいろあると思います。そこであえて、地域の役割を背負うということが、それこそちょっと損してるような気分になるのかもしれません。

黒岩
でも、そんなことを考えながら、「その土地で生きていく」っていうところが、なんだか会社とも重なるなと思いました。「いつまでこの会社で働くかわからないけど」というときの、コミットメントと似てそうだなと。

奥田
たしかに(笑)。

黒岩
でも会社だとしたら、いつかいなくなるかもしれないとしても、一生懸命コミットしたら、きっと自分にも返ってくるものがあるじゃないですか。

奥田
どれぐらいその会社にいるかわからなくても、「一生います」ぐらいの顔でやったほうが、会社の人たちも接しやすいというか。積極的に関わりにいけるし、本人も、自分自身の成長につながりますよね。

たしかに、暮らしでもそうかもしれないですね。たとえ3年でも、「自分もここで暮らす一人です」という感覚で関わっていく。そうすると、周りからも頼りにされるし、もし本当に3年でいなくなることになったとしても、きっと応援してもらえるんじゃないかな。

向原
地元の人だと、代々そこに住んでいる人もいるし、「地域の一員である」という感覚があると思うんです。でも僕の場合は、知らないところにポンと入って、そこにはすでにコミュニティがあって。住みはじめてから、少しずつ関係性ができていきました。

ここにずっと住むかと聞かれたら、覚悟しているわけではないし、いなくなる可能性もある。そのなかで暮らしていくって、確かに会社に似ていますね。それこそ草刈りとかに頑張って参加していると「こいつ、やるな」みたいになっていくし。ご近所の人たちはもともと優しいんですけど、以前よりも受け入れてもらえたような感覚があります。

奥田
現代人は自分の時間を差し出すことに対して、「これをやったら、これだけ返ってくる」っていう対価交換の感覚が強くなりすぎているのかもしれないですね。

もちろん、何でもかんでも頑張ればいいという話ではないとは思いますが、どうせ同じ時間を使うなら、自分事にして関わってくれる人がいたほうが、その場も楽しいし、結果的に自分自身にも返ってくるものがありそうです。

「ちょうどいい」はどこにある?

奥田
人との距離が近いことには、豊かさがある一方で、ローカルの強いコミュニティ感が嫌で都会に出るという話もありますよね。「噂がすぐに広まる」とか。

向原
僕自身も、いまは山間部で暮らしていて、街中の暮らしを見て「便利そうでいいな」と思うときがあったり、一時期は、コミュニケーションをとるのに疲れたときもありました。

黒岩
人と関わることって、豊かさだけじゃなくて、わずらわしさもありますよね。

「こんな場所は息苦しいから」という理由で都会に憧れるという話もあれば、逆に、都市の暮らしが人を孤独にして、幸福度を下げているんじゃないか、という話もあったりして。

「ちょうどよさ」はどこにあるんだろう、と思うんですけど、むしろ、そんなものはあるのかなって。

向原
「隣の芝は青く見える」という言葉がありますけど、街中に移ったら移ったで、きっとまた別の不満が出てくるのでしょうね。

不満が出てきたとして、どうにかやり過ごすのか、前向きに変えていくのか、見なかったことにするのか。その塩梅はけっこう難しいですよね。

奥田
どちらにせよ、折り合いをつけていかなきゃいけない。

黒岩
そうなんですよ。何かに折り合いをつけるのが難しくなって、都会に暮らそうとしたり、田舎に暮らそうとしたりするのかなと思ったんです。

でも、折り合いをつけずに済む生き方なんて、そもそもあるんでしょうか。

どこにいたとしても、何かに折り合いをつけていくことには変わりないのかも。環境とかも含め、条件を気にしはじめるとキリがないんですけど、どこで折り合いをつけて生きていくかを決める、ということなのかな。

奥田
コミュニティ感を心地よく感じられるなら、そういう暮らしを選べばいい。逆に、都市的な生活のほうが心地いい、という選択もある。

そういうふうに、自分にとって心地いい距離感を選べるという意味で、いまはいい時代なのかもしれませんね。


あとがき:
地域で暮らせば、時間が増えるわけでもない。
自然のそばに暮らせば、自然との距離が縮まるとも限らない。

向原さんは、地域の役割に一生懸命取り組むうちに、「以前よりも受け入れてもらえたような感覚がある」と話していた。もしかしたら、それは向原さんが、その土地で生きる自分自身を受け入れたことの裏返しなのかもしれない。

暮らしのなかで少しずつ土地と関わり、誰かから何かを受け取り、また誰かに返しながら、自分にとっての「ちょうどいい距離」を探していく。

何と、どのような関係性を育みながら生きていきたいのか。
3人の話は、そんな「距離感」をめぐる、まだ答えのない問いだった。

(文:sees magazine 編集部)


この記事の続きを、焚火を囲みながら。

地域で働く人や、自然とともに暮らす人たちと、直接話してみませんか?
inadani seesでは、地域で自然と関わりながら働く人に出会う「森と暮らしの仕事に出会える焚火会」を開催します。次回は2026年11月7日(土)。

焚火を囲みながら、仕事のこと、暮らしのこと、これからのことを、じっくりと語り合える時間です。

「地域で暮らすって、実際どんな感じなんだろう」
「伊那谷にはどんな仕事があるんだろう」
そんなところからでも、ぜひ気軽に遊びに来てください。

森と暮らしの仕事に出会える焚火会
◾️日 時:2026年11月7日(土)15:00〜18:45
◾️会 場:inadani sees(長野県伊那市西箕輪7200-27)
◾️参加費:無料(飲食は別途料金がかかります)
◾️対 象:自然や地域での仕事・暮らしに興味のある方
◾️詳細・申込方法:下記のページをご確認ください。
 https://inadani-sees.jp/news/1811