NOTEノート

2023.09.15

「物事の“そもそも”に目を向ける」。医師・稲葉俊郎さんと話す、〈 人と自然の幸福 〉がつづくまち | 後編


つづいていくまちを紐解く

つづいていくまちは、地域ごとの文化が守られ、
その土地に生きる人たちが希望を持って生きていけるまち。

自然があり、心身の健康や学びがある。
やりたいことに挑戦できる環境があり、幸福がある。

私たちのようなローカルのインキュベーション施設は、
そんな「つづいていくまち」をつくるためにあるのではないだろうか?

「つづいていくまちを紐解く」では、さまざまな人の視点や取り組みを通して、
人の体温を感じられるような、
手ざわり感のある「つづいていくまち」を探っていきます。


稲葉俊郎さんのことを知ったきっかけは、たまたまネットで見かけたインタビュー記事でした。現役の西洋医学のお医者さんでありながら、伝統医療や東洋哲学、芸術への造詣も深い。「こころ」と「からだ」、見えるものも見えないものも含めて、人間の〈いのち〉をまるごと見つめている人なのだと伝わってきて、「こんなお医者さんがいるのか」と思ったことを鮮明に覚えています。

一部分ではなく全体像を見ること、想像しようとすることが人間にとっても、森や自然にとっても大切なことなのではないか。そこに「つづいていくまち」のヒントがありそうな気がして、軽井沢で暮らす稲葉さんを訪ねました。

聞き手はinadani seesマネージャー/森林ディレクターの奥田悠史
「医療」と「森」という、一見別々のテーマを背景に持つ2人のようですが、話すほどに2つの円が重なり、ゆるやかに混ざり合っていく時間となりました。
後編では、「失敗する怖さ」「不安定さ」との付き合い方から、「生きる喜び」や「無理のない変化」へと話の流れが向かっていきます。

»前編はこちら
Photo by Yuki Inui / TOSHIRO INABA Official Website

その人が幸せだと感じているかのほうが、よほど大事な問題じゃないですか。

奥田 自分がありたい姿や「こうなったら幸せ」という状態を描けていたら、腰が痛い日とかがあっても「そんな自分も含めて幸せ」と感じられるってことなのでしょうか。
その「幸福」も本来は自分で決めるべきことなんだけど、社会からどう見られるかを気にしてしまったりしますよね。

稲葉 同調圧力というか、圧の強さに負けている人が多い気はします。結局は自分が満たされているかどうかが一番重要なポイントだと思うんですよ。外から見て社会的地位があったりとか、一見成功していそうに見えることよりも、その人が幸せだと感じているのか、ハッピーだと思えているかどうかのほうがよほど大事な問題じゃないですか。だけどそういうのって、すごく見落とされやすいですね。

奥田 そうですよね。健康とか収入の話とか、広告的にも煽られますし。以前ネットで歯医者を調べたら、そのあとから歯の広告ばかり出てきてすごく嫌なんですよ(笑)。

稲葉 人工的なきれいな形の歯が“いいもの”で、そうしないと一生後悔するかのように、不安を煽ってくる。不安を煽るっていうのは、人の行動を促す一番強力なやり方ですね。
健康に関するテレビ番組を見ていても、「幸福な健康状態」の話よりも、病気や症状に絡めてゾワゾワと不安にさせることで、人を動かしているものが多いと感じます。消費行動をすることで一時的には不安が解消される気がするんですけど、それは不安を別の情報で穴埋めしているようにしか見えません。

奥田 そこを自分自身で決めていくことの難しさがあるなって。先ほど話に出た、若い世代の人たちの不安感にも関係しそうです。
「自分で決めていく」というのは、訓練なんですかね?

稲葉 訓練とか鍛錬でもありますし、勇気とか、そういう心構えのようなものかもしれませんね。
何かを決めるときに、「完璧なものを決めなきゃ」と思うじゃないですか。でもそれは仮説みたいなもので、一回決めてみて「違うな」と思ったらまた変えていけばいいわけです。自分の決断は絶対的なものではないわけですが、その瞬間においてはベストである必要はありますよね。自分で決断する。そして行動へと踏み出すかどうかはささやかな勇気かなと思います。

奥田 みんな失敗することを怖がっている感じはしますよね。だからこそ、間違ったら隠そうとするのでしょうし。

稲葉 その「失敗したくない症候群」「なにかあったらどうするんですか症候群」は、病院の職員と話していてもかなり大きいと思いますよ。
間違いや失敗は、実はほかの人にとってもすごく大事なことだったり、参考になることですよね。最終目的地の話だけになると、「お金がないから」「環境が違うから」と、できない理由を探す方向へと脳が自動的に動いてしまいます。ただ、現状のできる範囲内で最適解を探すようにして仮の目的地を決めて向かってみる、失敗してもいいからやってみる。失敗は挑戦の証なんだと意味付けを変えて、まず未来へと視点を向ける必要があるかなと思います。

奥田 ドクターXの決めセリフに痺れるみたいに、失敗しない人に憧れちゃうんでしょうか?

稲葉 たぶん失敗を恐れることとセットになっている感情は、「失敗すると批判される」ということだと思います。批判されたくないから嫌だ、となりますね。ただ、失敗したということはチャレンジしたということの証明であり、批判ではなくむしろ賞賛されるべきことだと思っています。「だからどんどん挑戦して失敗してください」と場の前提を設定する必要がありますよね。失敗しても大丈夫な安全な場づくりはしておかないと、チャレンジすら起こらない。結局、それは個人の問題ではなく、場の前提の問題だったりするわけですよね。

奥田 まさに!僕らのインキュベーションも「温かくなければ卵は孵らない」をテーマにしているんです。インキュベーションはもともと「孵化する」の意味があって、誰かの挑戦が生まれるには、卵が孵化するような温かいコミュニティが必要だよなと思って。

稲葉 安全な場でないと孵化できないですから。ビジネス論でも心理的安全性の重要性は言われていますよね。僕は対話をすごく大切にしているんですけど、クリエイティブな対話が起きるにはその場が安全であることが欠かせません。

奥田 何かを言ったときに批判されないとか、受け入れてもらえるってことが大事ですよね。

稲葉 その安心が担保されているから、「こんなこと恥ずかしくてあまり言えないんですけど」ということが言える。逆にその言葉が出ている時点で、それまでは言える場がなかったんだなと気づくことがあります。

根っこが危うくなると、どれだけ上に何かを重ねていってもすぐに崩れますね。

稲葉 僕はいま山岳医療の本を書いているんです。そこで改めて登山の意味を自分なりに考えたんですよ。何でわざわざ山を登っているのかと考えた時に、朝日や夕日を真の意味で体験するためなのだと思いました。つまり、普通に暮らしていて毎日起きていることは、それを神聖で奇跡的なことだと感じられなくなってきます。生きているということ自体もそうです。忙しさは心の余裕を奪いますね。登山という非日常の時間と空間に身を置くことで、日常という日々を神聖な現象として、奥深さをこそ受け取ることができるようになります。登山している人たちは、深いところでそんな体験を求めているのかなと感じたんですよね。

奥田 「生きている実感」とはよく言いますけど、宇宙飛行士の野口聡一さんが「日本は何も考えずに生きられるようになったからこそ生きづらくなった」という話をしていて、まさにそうだなと。生きること自体にハードルがある場合は生きることに必死になるけど、生きることのハードルが下がったときに「なんとなく生きる」ことはできて、毎日の暮らしに何を求めればいいかがわからなくなっちゃう。

稲葉 三角形があって、土台が「生きること」だとすると、現代はその部分はある程度保証されています。飢え死にはしなくなりました。ただ、日々の生活でも虚無を感じたり「生きててもしょうがないや」とふっと思うのは、一番土台となる部分の問題が瓦解しはじめていて、そのことで生きている実感を感じにくくなっていることだと思うんですよね。ときどき自分でも思います。毎日職場の人間関係の調整とかに追われていると、自分はなんでこの仕事をしているんだろうと、疲労感とともに虚無感が襲ってきます(笑)。だからこそ、登山を含めた日常の枠組み自体とまったく異なった世界から自分の生活を見ることで、自分が生きている根本を見直して、喜びや楽しさなどの生きる実感を感じやすいようにしているのかもしれませんね。最近のアウトドアブームもその一環なのかもしれません。

奥田 僕自身もそうなんですけど、いろんな価値観がありすぎることで不安になっている若い人は多そうです。世の中には、自然とともに生きることに意義を見出している人もいれば、投資的にお金の運用をしないと将来の自分を守れないよ、という人もいたり。「いったいどこに行けばいいの?!」って。

稲葉 それはたぶん、さっき話したような三角形の土台の部分で悩んでいるのか、悩みの階層が多様に異なっているからこそよくわからなくなっているんだと思います。悩みの階層が違うだけで、すでに対話が成立しませんから。ミクロからマクロまでいろんな階層構造がありますが、悩んでいる場所の位置づけを知るためには、ある程度の外部からの客観的な視座が必要になるでしょうね。混乱の原因は、悩みマップがなく、自分の悩みの位置を見失っているだけなのかもしれません。お金の運用のような悩みもある階層では重要なテーマなのでしょうが、いま目を向けるべきなのは、実は最も土台となる基礎の階層の部分なんじゃないかなと思います。

奥田 「自分にとって重要なのはどれか?」という話として捉えると混乱するけど、生きていく上で大事なことと、生活を発展させていく上でいろいろな選択肢がある、ということなんですね。

稲葉 マズローの欲求5段階説にもそんな話がありますよね。戦争中の人はまず生きることや安全を満たす必要があり、生理的欲求、次が安全欲求。その土台が満たされると次の階層の欲求へと向かい、それが社会的欲求。その次が承認欲求。それらのものが満たされたら、欲求はさらに高次なものへと移り、自己実現欲求や自己超越へと移るのだ、と。それぞれの人にとって課題が異なるように思います。根っこが危うくなると、どれだけ上に何かを重ねていってもすぐに崩れますね。

奥田 みんな自己実現にばかり目を向けがちだけど、土台にある生理的欲求の階層が実はぐらついてきている、と。

稲葉 たとえば、食とかの問題は顕著ですね。食べているもので、実は何を食べているのかよくわからない、ということがありますよね。手間暇をかけてつくられたものはコストがあがりやすいので、何でもいいから安いものを、となると、安いだけで何を食べているのか体は混乱します。〇〇風調味料は無限にありますが、その原点としての素材自体を味わってなかったりして。
一度でもいいから、フェイクではなく値段の張る本物のものを勉強だと思って食べてみると、「こういうものなんだ」って体験でわかることもありますよね。

奥田 確かにそうですね。僕らはよくわからないものを食べている。それでカロリーは事足りるけれど、実際何を食べているんだっけ?となることもある。それが、土台のぐらつきなのかもしれませんね。

知恵や叡智は一度失われたけど、伝承されていかないものであれば、自分たちで考えて学ばないといけないんだろうな

奥田 うちのじいちゃんが3年前くらいに102歳で亡くなったんですけど、じいちゃんが若い頃は大雨が降ると山に鍬を一本持っていって、雨水の道を少し変えてあげたそうです。それで山が崩れなくなる。

稲葉 山の弱点がわかっていたってことですよね。その弱点の臨界点を超えたらバランスが崩れることをわかっていた。すごい知恵ですよね。

奥田 山に入って、自然との付き合いの中で経験としてわかっていたのだと思いますけど、素晴らしいなって。いまは車で山に入るようになって、みんなどこに弱点があるかもわからなくなっているから、崩落が起こってきたり。

稲葉 人体のツボみたいなものですよね。複雑な中のツボや経絡のようなエネルギーの流れがあって、そこが崩れることで全部が崩れていく。

奥田 それを山とじいちゃん、「鍬一本で」というのがすごい。鍼師のよう(笑)。

稲葉 まさに鍼一本で人の体のバランスを整えるって世界ですよね。どこに弱点があるかわかっていて、何かがあったときに最初にそこに起こるから、どこに流しておけば全体のバランスがうまく取れるのかをみているんですね。
そういった知恵や叡智は一度失われたけど、伝承されていかないものであれば、みんなが痛い目に遭いながら自分たちで考えて学ばないといけないんだろうなと思います。

広さを求める人と深さを求める人と、人の生き方の態度にも違いがある

奥田 複雑にバランスをとりながら生きようとしている「いのち」がある中で、生命そのものが終わりに向かうときというのは、身体としてはどういう感覚なんでしょうね。

稲葉 生命として与えられた役割を終えたってことなんでしょうね。粛々とね。死は悲しみも伴うものですが、生命にはそうしたケジメが与えられ備わっていると受け取るしかないですね。こういう姿形で生まれたことも自分で決めたことではなく、誰とも比較できないものです。すべては与えられたものですから。寿命の長さや生き方の質も、それと一緒ですよね。「与えられた」だけで本来は幸福であるとさえ思います。そう思える感性と環境こそが大事だと思います。「いのち」を与えられて生まれてきたわけだから、自然界の恵みを受け取った、それだけで十分だと思えるような。もちろん、人間は欲が出ますから、欲との付き合い方も人生修行の一環なんでしょうね。

奥田 本当に、欲深い。

稲葉 「欲」という内なる敵と向き合っていくことも大事ですよね。外側にあるいろんなものが羨ましく思えたり、比較する気持ちが生まれてきますから。

奥田 「いいな」という気持ちは無限な感じがします。

稲葉 それは自然に生まれてくる感覚なのかもしれませんが、それによって劣等感や優越感を感じる必要はないだろうと思います。「いい」と思うものに向けて努力とか成長が起きることもありますから。インスピレーションを受けて「自分はこっちに向かいたかったんだ」と自分の生きる方向性を導かれることもありますし。

奥田 自分自身が「本当はどうしたいんだろう?」と考えられるといいんだけど、どうしても社会的なものさしが抜けなくて迷っている人は多い。それに、自分が積み重ねた生き方の別の生き方を知らないですしね。

稲葉 自分の視野の範囲で考えると、「その枠内でどうにかしなきゃ」と思いますけど、本当はもっと多様な国と文化と生き方があって、外の世界を知ることで自分に合った生き方が見つかることもありますね。インドでもアフリカでも、どんな文化でもそうです。自分の枠内に閉じ込められているときに、枠外に光を探すのは難しいものですから。フレームそのものを壊して拡張しないと、箱の中から出られずに苦しむこともありますよね。

奥田 地域教育の中でも、地域の先輩の話だけじゃなくて、もっといろんな世界を見せてあげられたらなと思うこともあります。

稲葉 広さを求める人と深さを求める人と、人の生き方の態度にも違いがあります。ただ、ある限定的な世界の狭さと浅さしか知らないと、生きづらいこともあるのではと思います。
ずっと同じ場所で生活して深めていくのが好きなタイプと、浅く広く生きるのが好きなタイプとあって、そこに優劣はなくて、特性としか言えませんよね。浅く広くが好きな人は移動生活が向いているでしょうから、情報を行き来させて異なる世界をつなぐことが向いているんでしょう。でもそういう人だけだとこの世界は回りません。動く人とじっくり定住する人、そこが手を取り合うことでバランスが生まれるのだと思います。

奥田 風土は「風の人」と「土の人」がつくるという話がありますが、風の人のほうがいろいろな場所を巡っているので注目されやすかったりするのも、もったいない気がします。

稲葉 「土の人」は発信の必要性をあまり感じていなかったりするから、周りが伝えていくのが大事ですよね。僕もどっちかというと「土の人」なんです。医療の仕事は、その場に一定期間根付かないとできないことが多いですから。信頼関係が重要ですし。ただ、わたしも「土」として留まっているだけだと自分自身の成長がないので、「風の人」のように情報を発信し、異なる世界を結び付けたいとも思っています。

「ほどほど」は難しいけれど、一番の肝でもありますね

奥田 森はもはやデザインできるものではないと思うので、僕は自然に対するある種の信頼もすごくある。むしろ、大きな改変が起こったときに大きなエラーを起こすと思っていて。
たとえばボルネオ島でマラリアが流行っていたときに、蚊を撲滅するために殺虫剤を散布したら回り回って違う問題が起こったように、何かに対して大きなインパクトを与えると大きなしっぺ返しが来るんだなと。だから「小さく良く変えていく」を積み重ねるほうが無理がないんじゃないかなと思っています。

稲葉 僕ら医療業界も、人間に自然治癒力があることが大前提で、いのちの力に大きく依存しているんですよね。生きていることを保つことすらできなくなります。例え免疫システムに異常がある人でも、自分が持っている免疫を最大限に活用しない限り生きていけないわけです。その免疫システムを大幅にいじると、全体がどう変化するのか、余計にわけがわからなくなります。ワクチンを心配している人の懸念はそうした生命の全体的なバランスにあるんだと思います。人間の復元力を壊さない程度の節度、その「ほどほど」は難しいけれど一番の肝でもありますね。解剖学者の養老孟司先生が「手入れ」という言い方をされますが、手入れくらいのバランス感を持つ必要がありますよね。大幅に土壌を変えるのではなくて、ちょっと手を入れることで森が持つ自然治癒力や復元力を高めるように、と。まさに鍬一本の力で。

奥田 そこに人間としてどう関わっていくか、ということですよね。自然と私たちは共生関係にあるので。関与しあったほうがいいですし、大事にしたいなと。

稲葉 根本的なところでは、自然界も人体も同じです。自然治癒力だけでおし進めると、反西洋医学となり、一足飛びに原理主義的な考え方に入り込んでしまったり。極端に振れる人も多いのですが、その溝を埋める、分断した世界をつなぐことも大事です。両極に振れた原理主義は、対立関係で永遠に混じらなくなってしまうので。

奥田 相反する2つの極があって、どうバランスを取るか。

稲葉 ただ、極端な両極があるからこそ中庸があるわけです。単純に「どっち派」かではなくて、両極を見据えた上で、間にあるグラデーションの部分であっちに行ったりこっちに行ったり、揺らぐような綱引き運動にこそ、真実があるように思います。

奥田 まさに。状況は常に変化するので、考え続けてバランスを取り続けるというか、シーソーの真ん中に立ってぐらぐらし続けるしかないんだろうなと思っていて。どちらかにガタンと寄ってしまえば座れるし楽なんですけど。
不安定なまま考え続けなさいと言われたら、「嫌だー」ってなりますね(笑)。

稲葉 一般的に不安は良くないことだと思われますが、実はすごくいいことだと思います。どちらかに定まらずに心が動いている、考えている証拠なんですよね。
不安を解消するために「わたしはこっち派だ」と一足飛びにいくんじゃなくて、不安の中で考え続けることがすごく大事なんですよ。

奥田 いろいろお話しさせてもらってる中で、「つづいていくまち」に必要なものが何なのかが見えてきそうな気がしています。

稲葉 変化し続けることは大事です。ブッダも無常と言いましたし。極から極へと二極化で分断するのではなく、考え悩み続けながら、波乗りのように時代のうねりを楽しんで生きていく必要がありますね。

(文・写真:黒岩麻衣、編集・写真:奥田悠史)