NOTEノート

2024.02.13

安心の土壌があれば、“その人らしい”創造性は自然とひらく | 宮田尚幸(風と地と木合同会社代表 / デザイナー)【後編】


つづいていくまちを紐解く
つづいていくまちは、地域ごとの文化が守られ、
その土地に生きる人たちが希望を持って生きていけるまち。

自然があり、心身の健康や学びがある。
やりたいことに挑戦できる環境があり、幸福がある。

私たちのようなローカルのインキュベーション施設は、
そんな「つづいていくまち」をつくるためにあるのではないだろうか?

「つづいていくまちを紐解く」では、さまざまな人の視点や取り組みを通して、
人の体温を感じられるような、
手ざわり感のある「つづいていくまち」を探っていきます。


デンマークでVilhelm Hertz(ヴィルヘルム・ハーツ)の杖と出会い、デンマークの職人が制作した杖を日本で広めるために活動していた宮田さん。
使う人や環境にとってより良い方法を考えて2023年4月からは日本の職人と協働して杖の製造を開始し、「Denmark Design × Japan Made」として世に送り出した杖が、ドイツの歴史ある賞『German Design Award』のヘルスケア部門で Winner賞を受賞されました。
この杖の「美しさ」は見た目に限ったことではなく、使う人の世界に対する姿勢まで美しく変化させる力がある。そんなモノづくりが評価されたことに、勇気をもらえる人もいるのではないでしょうか。

前編では、デンマークの社会福祉のあり方や、それを下支えする対話の文化についてお聞きしました。日本とデンマークではこれまでに積み重ねてきたものが違うから、いま目の前にある風景が違う。そんなシンプルな法則が見えてきました。

いまある前提やそれを形づくってきた文脈を見つめつつ、どう社会を前進させていけるか。後編では宮田さんの活動について触れながら、これから私たちがどんなことを積み重ねていけばいいのかを探っていきます。

» 前編はこちら

心理的安全性があることで人の心は変化する

奥田 そもそも日本人は不安を抱えた民族である。それを前提とした上で、宮田さんはどんなことをイメージして安心をデザインしようとしていますか?

宮田 自分がやっている活動に紐づけると、1つは北欧の文化を参考に、対話会を4年ほど前から主催しています。
2つ目は道具のデザインで、メインで取り組んでいるのが杖です。売れるものをつくるのではなくて、本当に必要としている人に必要とされるものを、ちゃんと当事者視点を組み込んでつくる。道具の見た目としてのデザインというよりは、生まれ方のデザインをするイメージですね。
3つ目が建築的な環境で、そもそもハード面での安心を感じられるような性能の家を広めていこうとしていて。この3つの側面から心理的安全性をデザインしていく活動をしています。

奥田 そもそも宮田さんが心理的安全性にこだわっているのはどうしてですか?

宮田 僕の活動の根底には、「自分らしさを表現できる人を増やしたい」という想いがあります。心理学的には、「その人らしさ」が表出するためには心理的安全性が欠かせないそうで、「ではどうやって心理的安全性をつくっていこうか?」と考えて、コミュニケーション・道具・環境の3つの側面から心理的安全性をデザインしていく活動をしています。

自分自身が幼少期から抱えていた生きづらさというか、自分を表現しきれずに生きてきたところから、いろんな気づきを経て自分が変化していくのを感じてきました。何に気をつければいいのか、どんなところがデザインされていれば自分らしさを出せるようになるのか。自分でその変化を体感しているからこそ、その人らしく生きられる人を増やしたいなと。

奥田 宮田さんが生きづらさを感じていたのは、心理的安全性の高い空間があまりなかったということなんでしょうか?

宮田 そういうことだと思うんですけど、どうしてなのかよくわからないなとも思っているんです。友達がいなかったわけでもないし、極端に社会との関わりが少ないわけでもなかったし。ただ、「とにかく人前が恥ずかしい」と感じていました。なんというか、どうやってマジョリティの中に入り込むかを常日頃から考えていましたね。

奥田 僕もその感じはすごくわかる気がします。宮田さんが心理的安全性を獲得したのはどのタイミングだったんですか?

宮田 それが完全に腑に落ちたのがデンマークなんです。だからもう30歳くらいの頃ですね。自分はそもそも不完全な人間で、「早く普通になりたい」という感覚でいろんなことに無理やりチャレンジしていて。20代半ばにバックパックでヨーロッパを回ったりしてみたんですけど、そもそも心理的安全性が必要だったんだなと腹落ちしたのがデンマークでした。

奥田 デンマークに行く以前からもコミュニティによっては自分を出せる場面はあったけど、デンマークにいるときに一番自分を出せるようになったということですか?

宮田 そのあたりが明確に分かれているかはわからないんですけど、たとえば、デンマークへ行く前の自分を知っている人たちからすると、僕が対話会を主催するような人間だとは全く思っていないだろうなって。能動性や主体性が薄い人間だったので、自分でもよくこんなことをするようになったなと思います。

デンマークで何が変化したのかを考えると、対話という存在を知って「自分の意見を普通に言っていいんだ」「意見を言っても批判の対象になるわけではないんだ」と体感したことが大きいかもしれません。
コミュニケーションや道具によっても人の心は変化すると知り、自分自身でも変化を体感する中で、ベースの安心が広がってきたように感じます。

杖の職人が与えてくれた、ゆるがない安心感

奥田 とくに子どもの頃となると、自分の生きづらさを自分で捉えることって簡単じゃないよなと思います。それを不安や安心という視点から俯瞰できるようになって、見え方全体が変わったということなのかなと思いました。それを知らずとも自分を出せるコミュニティが周りにある人もいるだろうし、そうじゃなかったとしても、知ることで意図的に自分らしさを出せる環境を選ぶこともできそうです。

宮田 最近は心理士やカウンセラーの方など心の発達について学んだ方と話す機会があるのですけど、育った環境や両親の関係性というものは、その人の心がどう発達してきたかを知る目安としてすごくわかりやすいらしいんです。
だから本当に人によるというか、年齢的に大人になっている時点で心が成熟していて社会のために動き出せる人もいれば、同じ年齢でも、社会のためよりはまず自分の安心を確保するような動き方をする人もいると思います。

奥田 家庭環境となると、自分ではコントロールできない部分も大きくて難しいですよね。

宮田 そうですね。自分たちも親になる可能性があるとして、知識としてそれぞれが捉えておくのは大事なのかなと。あとは家庭環境がどうだったにせよ、愛を持って接してくれる人に出会えば、そこからちゃんと成長していくことは大いにあると思います。
デンマークで杖の職人と出会ったことが、自分にとってはかなり大きかったんじゃないかな。

奥田 杖の職人さんと出会ったことでどんな変化があったんですか?

宮田 ゆるがない巨大な愛を知った…というとちょっと恥ずかしいんですけど(笑)。
両親に大きな愛を持って育てられた子どもたちって、そのゆるがない安心感をもともと身にまとっている気がしていて。だからちょっと何かが起こったくらいでは、安心が崩れない。僕はその安心を杖の職人から教わった感じがしています。

小さい話なんですけど、自分が職人のもとで住み込みで働くことになったときに、「お前にもプライベートな空間が必要だろう」と言って僕が住むための小屋を2週間かけて2人で建てたんです。

杖の職人さんと建てた小屋。しっかりと断熱もされていたのだそう(写真提供:宮田さん)。

突然やってきたアジア人にどうしてこんなことをしてくれるのかと尋ねたら、「俺がお前を信頼しなければ、お前も俺のことを信頼できないだろう」と言ってくれて……。
いままでに感じたことのない器の大きさというか、安心を感じた一番の体験でした。

奥田 十分大きな話だと思います(笑)。

宮田 それ以外にも「やりたいことがあったらなんでもやってみろ」と言ってくれたり、実際に僕がつくった職人の制作風景の動画を見せたら、「すごい、本当に才能がある!」と言ってくれたり。とにかくその人が興味を持っていることや、やりたいことを引き出そうとしてくれるんです。「これはダメ」と言われたことがない気がします。

奥田 いいですね。僕もその職人さんのような空気を感じたことがあるんです。なんていうんだろう、背中を叩いてもらったらうれしくなるような手のひらの厚みというか。僕が何をしていても信頼してくれているのを感じるから、僕も信頼する。そういう人に出会えることってありがたいなと思います。

ダイアローグの主語は「私」と「あなた」

奥田 宮田さんの3つの活動のうち、道具では杖がメインの活動だとお聞きしましたが、コミュニケーションや環境についてはいかがですか?

宮田 コミュニケーションでは、ダイアローグというワークショップを通じてコミュニケーションの仕方をアップデートしようとしています。相手の意見を批判せずに、お互いの価値観や考え方にヒントを得ながら積み重ねていく。デンマークでは人の揚げ足をとるような文化がなかったのですが、それはダイアローグ的なコミュニケーションがベースにあるからなのだと知りました。

「日本は」のように、主語が自分から離れていくと不満の言い合いになりやすいですが、ダイアローグでは常に「自分」にスケールを落として話します。そうすると、「私はこう思う」「あなたはどう思うのか」という話になるので、目の前の人と話している感覚が強くなるんです。目の前の人と楽しんだり、一緒に現実をつくっていくことを大切にしているんだろうなと感じています。

奥田 日本だと大きなものや大きな報道を捉えて不満や不安を抱えている印象がありますけど、そこからダイアローグ的な視点の持ち方を知り、スケールも「自分」に落としていく。まずは自分の目で見て語るということですね。

宮田 そうですね。「自分はどう思うのか?あなたはどう思うのか?」と、それができるようになっていくと不満自体も少なくなっていくのだと思います。

とはいえ、何かを実行する際には1個のことでないと難しいので、ディベート的なコミュニケーションもあります。
ダイアローグ的なコミュニケーションだと、「あれもいいこれもいい」とアイディアがどんどん膨らんでいくんですけど、そこからディベートで意見を集約させて実行していく。彼らはそのスピードが早いんです。1個に決めてみんなで実行してみて、つまづいたときにはまたダイアローグ的にアイディアを成熟させて、また集約して実行して……というのをすごいスピードで繰り返しているイメージがあります。

奥田 最近はビジネスの中で対話や心理的安全性の重要性について耳にすることも増えましたけど、そう言っている方たちというのは、これまで僕が見ていたよりも深い視座で語っていたんだろうなとわかってきました。
僕も自分が携わった講座に対話的なコミュニケーションを取り入れたことで、対話の重要性を実感を伴って理解できてきました。でも実際に体感してみないと、なぜビジネスの中で対話が大事なのかピンとこない人も多そうです。

宮田さんたちのように「ダイアローグを広めたい」と活動している人たちは、きっと対話の中にある安心を知っているからこそ、様々な社会問題を前に進めるためにダイアローグが重要だと話されているんですね。そのことがすごく腑に落ちた感じがします。

宮田 そうですね。人に対するもの全てに関わってくるのかなと思っています。でも日本の中だけを見ても、「対話が必要ではない」という人たちも、もちろんいると思います。はたして全員が対話できることが重要なのかどうかは、実際にはわかりませんし。
でも、自分の身の回りだけでも対話的なコミュニケーションができる人が増えたら、よりクリエイティブな人たちが増えていく。僕はそう信じているので、小さくても広めていくことが重要だなと思って続けています。

対話が生まれるあたたかい場を、まずはここから

奥田 inadani seesでは、インキュベーションの「孵化する」の意味に立ち返って、卵が孵るようなあたたかいコミュニティをつくろうと日々試行錯誤しているんですけど、宮田さんとのお話を通して、もっとあの場所に対話的な営みを増やしたいなと思いました。

宮田 ぜひぜひ。ちなみにデンマークでダイアローグをやっている人たちが言うには、対話には「不確実性に耐える力」が必要なのだそうです。すぐに答えを出そうとしないとか、確実性がない状態にいかに耐えられるか。

奥田 数年前からネガティブ・ケイパビリティ(*1)が言われるようになったみたいに、白黒つかない状態とか、どちらにもある正しさに急がず向き合うという姿勢も対話の文脈から出てきた部分なのかもしれませんね。
(*1)事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力を意味する。

宮田 そうだろうなと思います。急がずに一旦保留する力というか、自分とかけ離れた意見が出ようと、円卓にみんなの意見を並べて眺められる力というような。それを別の文脈でメタ認知と呼ぶ人たちもいますが、そこが第一歩なのかなと思います。

奥田 いまだにそうかはわかりませんが、かつての日本で「仕事ができる人」というと全く逆でしたよね。保留するのではなく、すぐに判断する力のほうが優れているものとして扱われていたように思います。

宮田 環境のことにも触れておくと、ダイアロジカルな場をつくるためにデンマークでは環境もとても重要視されています。
北欧の建物やインテリアは形や色使い、置いてあるものまで含めてものすごく心地よい。それは単に「おしゃれ」というだけではなくて、全てに意味や意図があると思うんですね。
彼らはダイアロジカルな空間づくりを大切にしているので、夜になったらライトを暗くするとか、心地よい光をつくるにはテーブルから何センチのところにライトをつけたらいいのかとか。そういうルールがいろいろとある中で、一番外側にあるのが家だと思います。

Vilhelm Hertz Japanのアトリエの椅子は、日本製の杖の木部を製作する平田椅子製作所のもの

家自体が環境として整ってないとその中にいる人たちは大きく影響を受けるわけです。
奥田さんの先ほどの言葉を借りると、“あたたかくない”建物の中で寒くてガタガタ震えているのに「対話しましょう」は難しい。相手の意見をちゃんと受け止めて積み重ねて……と言われたって、寒ければそれどころではないですからね。
デンマークだと家の中で暑いとか寒いとかがほとんどないんです。真冬でも室内ならTシャツ一枚でいられるし、寒くてベッドから出られないということもありません。

奥田 それはうらやましいですね。

宮田 以前開催した展示のフライヤーに「マズローの5段階欲求」のイラストを書いたんですけど、一番下が生理的欲求で、ここは日本人なら大体満たされているんじゃないでしょうか。でも2番目の安全欲求がぐらついている気がするんですよね。家の中が夏は暑くて冬は寒かったりしますし。そこを無視して上の段階の話をしようとしても、なかなか難しい。
そういう意味で、ハード面をいかに安心できる空間にするかが大事なんですけど、建築業界で日本の制度は何十年か遅れているそうです。ちなみに福祉業界は40年遅れていると言われていますが……。

奥田 なるほど、林業業界は30年遅れていると言われていたりしますね(笑)

宮田 いまは情報も含めさまざまなものにアクセスしやすい世の中になっているので、その遅れをそのままにするのではなくて、汲み取れるところはどんどん汲み取って、再解釈して具現化することが必要なのだろうと思います。

そこから自分の活動としては、デンマークの建築家とコラボレーションして、デンマークの性能の住宅を日本の建築会社と組んで少しずつ増やしていく取り組みをしています。
その第一号が船橋にある「空と海」という障がい者施設のグループホームです。自閉症の子や知的障がいのある子たちが生活をする場になるのですけど、建物の性能が良くなったときにその子たちが精神的に安定したり、創造性がより表出されるかもしれない。

「社会的弱者」という言葉は、強者が弱者をつくっているだけだと思うのであまり使いたくはないなと思いつつ。高齢の人や障がいのある人とか、もともとセンシティブだったり、何かしらの生きづらさを感じている人の創造性が表出していくサポートをしたいと思っているので、グループホームに採用されたのは僕としてもよかったなと思っています。
グループホームはもちろん、公共施設のような国民がアクセスしやすい場所がこの性能の建物になっていけばいいですよね。

奥田 いいですね。ハード面も含めてコンセプトのある場の設計をするのが、本来のやり方だろうなという気はします。
たとえばinadani seesでイベントをするときにも、人数が少なければ木の丸テーブルをできるだけ使うんですけど、人数が多くなるとどうしても折り畳み式のよくある会議机を並べていて、ちょっとやりにくいなという悩みがあるんです。
ぜひ一度宮田さんにも伊那に来ていただいて、「ダイアローグしやすい空間や施設とは?」ということを考えるワークみたいなことを一緒にしたいですね。

宮田 自分で良ければぜひ!これまで4年ほどダイアローグのワークショップを開催してきましたが、対話も筋トレとか、違う言語を学ぶ感覚に近いのかなと感じています。
デンマークと日本では教育面での前提も違うので、日本でいきなり「対話しましょう」と野放しにされても難しいだろうなって。だからダイアローグのワークショップを開いて、その時間だけでも対話的なコミュニケーションができるようにしているんですけど。参加してくださる方の様子を見ていると、1回や2回で劇的に変化するというよりは、毎月参加してもらうことで徐々にやり方がわかってくるみたいですね。

奥田 福祉のデザインの話から始まりましたけれど、場のデザインをすることと対話的な営みについて実践や理解をすることは、つづいてくまちづくりにとってめちゃくちゃ重要な話ですよね。
どれだけ対話に意識を向けていくのか。inadani seesも常にそういう場でありたいな、と思います。
対話を一つの言語として捉えて、安心な場はどうやったらできるのか。僕らが暮らす社会は不安なシーンに溢れているので、その不安を少しずつ安心に変えていく。これからのまちに重要なことが、今日もひとつ見つかりました。

» 宮田さんのnoteではデンマーク滞在の様子が綴られています。

(文・写真:黒岩麻衣、編集・写真:奥田悠史)