NOTEノート

2024.07.06

“何か”が自然に生まれる場づくりを探る | 森 一貴さん 前編

inadani seesがオープンして1年とちょっと。誰かの頭の中にある「やりたい」をカタチにする場になることを目指し、日々試行錯誤しています。

「農と森のインキュベーション」として、日頃から自然資源と関わるお仕事を覗き見る機会があります。自然のものは人の思うようにならなかったり、時間がかかったり。自然と向き合っている方々は長い時間軸で物事を捉えながら、目の前のことに取り組まれています。
そんな姿を見ていることもあり、inadani seesとしては、物事の生まれ方やプロセスにおいても「自然」は大切にしたいところ。
無理にアイディアを絞り出したり、違和感を持ったまま進むのではなく、川の水がさらさらと流れるように、春になれば植物が芽吹くように。そんな風に物事が生まれる場をつくれたらいいなと思いつつも、簡単ではないですね。やり過ぎれば強制のようになってしまうし、何もしなければ、何も起こらない。物事が自然に生まれるような場なんて、そもそもデザインできるのでしょうか。

そんな悩みを行ったり来たりしている私たちが辿り着いたのは、「参加型デザイン」や「Co-Design(コ・デザイン)」の領域を専門とする森一貴さん。

森さんは、福井県の工房一斉開放イベント「RENEW(リニュー)」の元事務局長や、ご自身の移住のきっかけにもなった「ゆるい移住」全国版の元プロデューサー、3軒のシェアハウスの家主など、鯖江市をフィールドに“思いもよらない出来事”が生まれる環境・関係を耕す実践に取り組まれています。

今回は、森さんのこれまでの取り組みをお聞きしながら、何かが自然と生まれる場のつくり方や、公共と場のデザインについて考えてみたいと思います。

「同じ目線で、ともにつくる」。参加型デザインとの出会い

ーー 森さんは「参加型デザイン」や「Co-Design(コ・デザイン)」の領域を専門とされていますが、そこに辿りついた経緯からお聞きしていいですか?

 僕はこれまで思いつくまま、自分の好奇心に引っ張られるままに、いろいろなプロジェクトに携わってきました。その中で、「 僕がやってるシェアハウスってなんかいいな」とずっと思っていたんです。
そこに何か大事なものがあるんだけど、うまく伝えられないなって。

2015年に鯖江市に移住して、「RENEW」のようなまちづくり活動をしたり、探求型の学習塾「ハルキャンパス」を立ち上げたりしてきました。どれもとても楽しかったんですけど、そこには良くも悪くも「意図が混ざり込んでいるデザインの力」があるなと感じていたんです。デザインとしてそれは当たり前のことだと思うし、面白い部分でもあると思うんですけど。
シェアハウスをはじめたのはちょうど、そんなことを考えていたときです。

僕はシェアハウスをはじめたかったというよりも、自分が住む家を借りて、そこに友達を誘っていくうちにシェアハウスになってしまった、という経緯でした。
いまは歩いて2分くらいの距離に3軒のシェアハウスを運営していて、15名ほどの住人が暮らしています。公務員やデザイナーやニートがいたり、ものづくりの街なので職人さんがいたり。住民じゃない人もたくさん出入りがあって、LINEグループにはたぶん60〜70人くらい入っているんじゃないかな。

最近では、うちのシェアハウスを卒業した人が自分で、近所でシェアハウスをはじめる動きも出ていますね。
僕が住んでいるのは鯖江市の東側にある、河和田地区という人口3600人くらいの小さな街なんですが、いまはそこにシェアハウスが6〜7軒あるんですよ。

ーー それは多いですね(笑)。

 なんだか増えてきましたね(笑)。

あるとき、シェアハウスに遊びにきた子が、「ここで縁日をやりたい」と言い出したんです。東京に住んでいて、鯖江と縁があるわけでもない子だったんですけど、彼女が企画した縁日イベントには地域の子どもからおじいちゃんまで60人くらいが集まっていました。
この状況は僕が意図してつくろうとしたわけではないし、たぶん意図的につくれるものでもないと思うんですけど、「一体これは何なんだろう?」って。そんな出来事がシェアハウスの周りでポツポツと生まれて、それぞれの解釈で自由に使われるような「場」のあり方ってすごく面白いなと思うようになりました。

これは1つのきっかけですが、いろんなプロジェクトに携わる中で、こういった動きの背景にある構造とか、そこにインパクトを与えているものとか、そんなところが知りたくてフィンランドにデザインを学びに行きました。
「参加型デザイン」や「Co-Design(コ・デザイン)」という言葉を知ったのはそのときですね。

ーー 「参加型デザイン」や「Co-Design(コ・デザイン)」はいつ頃生まれた言葉なんですか?

 1960年代頃から立ち上がってきた言葉なんですよね。それまでの「デザイン」は、デザインする人とユーザーが明確に分かれているものでした。
それに対して参加型デザインは、デザイナーとユーザーの線引きがもっとゆるやかなイメージです。
たとえばシェアハウスなら、「管理人の僕」と「住人のあなた」ではなく、「僕もあなたもこの場をシェアする住民」として、同じ立ち位置にいると捉えます。
これまでは専門家が占有していた「デザイン」というものが、開かれていく。参加型デザインというのは、そうやってデザイン全体を捉えていくあたらしいパラダイムだったのだと思います。
そんな目線をフィンランドで学びながら、これまで僕がやってきたことを説明できる言葉を、一つひとつ獲得していった感じがしますね。

“何か”が自然と生まれる場には、「エアコンの温度を自由に変えられるくらい」の空気が流れている

ーー 森さんは「参加型デザイン」のどんなところに面白さを感じているのでしょうか?

 こちらが意図して何かを設計することよりも、偶発的にいろいろな人のいろいろな関心が持ち寄られて、形になっていく。僕はそういう動きが気になるし、面白さを感じていますね。
何なんでしょうね。みんなが同じ場所にいるけど違っていられる、という状態が僕はすごく好きです。その意味ではシェアハウスもRENEWも、いい景色がつくれているなと感じています。

RENEW事務局がやっていることって、鯖江の街の工房を「3日間一斉開放します」と宣言して、人を行き渡らせることだけなんです。実際にそこでお客さんをもてなしたり案内したりするのは、それぞれの工房の人ですからね。
広報上の枠組みはつくった上で、事務局側が「こうしてください」と指定するわけでもなく、工房見学やワークショップや物販など、お客さんをもてなす方法はお任せしています。ちょっと変わったものだと、ちょうど世界サッカーの試合がある日で、「眼鏡職人とサッカーの試合を見ながら飲もう」なんてイベントもありました。

ーー 「どういうこと?」と思ってしまいそうですけど……(笑)。

 そうなんですよね(笑)。でも、本当にそのときにその人がやりたいことなら、「どうぞ」とRENEWなら受け止められます。そんな風に、思いもよらないものが自然に発露してくる感じがすごくいいなと思っています。

ーー いいですね。inadani sees(以下、sees)でも、誰かの「やりたい」という想いや、何かが自然に発露する場やコミュニティがつくれたらいいなと思いつつ、それって簡単なようでとても難しいなとも感じています。そこは何がキーになってくるんでしょうか?

 それに関しては、常にいろいろなものの「間」を攻めていくようなアプローチが必要なのだろうと思っています。
たとえばRENEWでも、「こうしてください」と明確に定められた目的があるほうが、みんなも何をすればいいかわかりやすいですよね。でもその状態では、指示する人と、指示を受ける人という二項対立になってしまう。とはいえ、全く何も示されなければ、関わる人もどうしたらいいかわかりません。
何かが自然に発露するような場というのは、その間くらいの「わからなさすぎないんだけど、わかりすぎない」を攻めることが大事なのかなと感じています。
その場に集まったみんなが共有できるような、柔らかい目的地や「見たいもの」は一応あるんだけど、その周辺でさまざまな遊び方ができるような。ギリギリの表現、ギリギリのコミュニケーションが必要なんだろうなと思っています。

ーー それぞれの人が、それぞれに解釈できるくらいの「余白」がある、ということなのでしょうか。決まりすぎていると「やらされ感」が生まれそうですし、かといって何も決まっていないと、何も起こらなさそうです。

 僕はその間の状態を、「友達の家のエアコンの温度を自由に変えられる状態」と表現しています(笑)。
エアコンの温度を変えるのなんて、大したことではないんですけど、要はその空間に対して「自分も影響を与えていいんだ」という感覚を持ってもらえるくらいの感じなのかなって。
完成されたプランを手渡して実行してもらうのではなく、「ここから先は皆さんで自由にしてね」と。これってある意味、こちらがどれだけコントロール権を手放せるか、ということでもあると思うんですよね。
それは仕組みとして設計することもできるだろうし、関係性としてつくっていくこともできそうです。

ーー コントロール権を手放すと言っても、完全に手放してしまうのもなんだか違う感じがするんですが……。

 本当にそこは難しいところだなあと思います。手放したいけど、完全に手放してはいけないというか。
デザインするときに意図は当然必要だし、意図がなければ何にも起こらない。「手放す」と言っている僕でも、いまでも意図を持った戦略的なデザインはたくさんしています。
だけど、意図が絶対的なもので、集まった人がそれに従わなければいけない感覚になると、「エアコンの温度を自由に変えられる」ようなことはやりにくくなっていくと感じたんですよね。

ーー 強すぎる意図は、確かに目的には近づけるけど、その場で生まれるかもしれなかった「何か」が排除されてしまうのかも、と思いました。どんな風に目的や意図を持っておくとよさそうか、何かイメージはありますか?

 強すぎる意図のゆるめ方については、これまで見てきた中でも3パターンくらいありますね。
1つは、意図があるように見えて意図になっていないもの。シェアハウスがそうなんですけど、一見目的があるようで、ほぼないんですよね。
「 一緒に住む」ということだけが決まっていて、あとは何でも起こりうる。これも1つの意図の捉え方としてありそうです。

2つ目は、あえて意図をずらしているもの。たとえば、公共の界隈では有名な「喫茶ランドリー」という場所があります。カフェでもあり、ランドリーでもある。この時点で複合的なんですが、本当の目的はカフェやランドリーが利用されることではなく、「その場所で何かが生まれること」なんですよね。
だからといってイノベーションスクールをやるわけではなく、彼らは「喫茶ランドリー」をやっている。すると、「イノベーション」という言葉では響かない人たちが集まるようになります。たまたま来たカフェに大きな作業台があって、お店のスタッフと話しているうちにミシン会を開催することになったり。こんな風に、意図や目的をずらすという事例もあります。
3つ目は、まず強烈な目的があって、そこを起点に裾野が広がっているもの。RENEWはそのパターンかなと思います。
最初に立ち上げた河和田にあるデザイン事務所・TSUGIの新山さんは、ONE PIECEでいえばルフィみたいな人。自ら旗を持って突っ走るタイプで、そういう人が発する強い目的のもとにはフォロワーが集まり、熱狂や動きが生まれます。

振り返ってみると、あとからRENEWの事務局に入った僕は、強い目的の裾野を「ヨイショッ」と広げるような役割を担っていたのだろうなと思います。
たとえば何をやったかというと、「あかまる隊」というチームをつくりました。鯖江の街が好きで、何かしら関わりたい、そんな人たちのためのファンチームみたいなものですね。
RENEWの事務局はかなり忙しいので、事務局が主導して何か面白いことをする余白があんまりないんです。目的に向かって、戦略的な枠組みの中で働いています。
あかまる隊はその近くにいながら、枠組みの外側で何かモニャモニャと動いている感じです(笑)。
2023年のRENEW開催時には、「推しの職人さんがいる」というところから、あかまる隊で職人さんのトレーディングカードをつくっていて。みんなして「まじで意味わからないな」って思ってたんですよ(笑)。

ーー ははは(笑)。

 でも当日蓋を開けてみたら、トレーディングカードをもらった人たちが、実際にその職人さんに会いに行って写真を撮るというムーブメントが生まれていて、「こういうことだったのか!」と。あかまる隊は楽しんでやっていただけなんですけど、そんなことが何かにつながるかもしれないんだなって。まあ、何にもつながらないかもしれないんですけど(笑)。

ー ここまでお聞きしていて、森さんのデザインの考え方は、戦略的というより生態系のような考え方なのかなと思いました。生態系のようにいろいろな存在がそれぞれの思惑で生きているけど、ゆるやかに影響し合いながら、なぜか社会が成立しているような。ルールで固めるのではなく、それぞれの個性が発揮されたときに何かが生まれるような、そんな場をseesでも目指していきたいと思いました。

後編では、森さんの考える「公共」についてお聞きしながら、引き続き場のつくり方を探究していきます。

聞き手・文・編集:SEES NOTE 編集部
写真:森さん提供